昭和36年 開発前の椎津川流域の航空写真 (出典:国土地理院)

 

この時代の椎津川は、こどもたちの遊び場でした。大人にとっても、田んぼで仕事を終えた後は牛や馬と川に入って田んぼでついた泥を落としたり、うなぎやどじょうをつかまえたり、暮らしとともにある川でした。

 

昭和40年頃の臨海部の埋立てまで、今のJR姉ヶ崎駅近くまでが海。椎津川が注ぎ込む海(東京湾)まで、こどもたちは歩いて遊びに行き、海岸付近の人たちは、椎津川流域の里山まで薪を拾いに来ていた、と地域の昔を知る方から伺いました。